●アポクロマートという用語2015/09/05 06:50

早起きしてこのページの文字校正をしていたら大失態! 全部消してしまいました。
ブログの画面に直書きしているので元原稿はありません(泣)。
とりあえず思い出しながら書き直してみます。いただいたコメントも一緒に消えました。思い出してお返事したいと思います。
半日経って----おかげさまで何人かの読者の方から本文を送っていただきました。書き直したのと一部を一緒にして新原稿としました。どうもありがとうございました。

●吉田正太郎先生の訃報
天文学者で光学設計や歯車の理論でも日本の技術の発展に多大な功績を残された、吉田正太郎(よしだしょうたろう)東北大学名誉教授が、7月30日に永眠されました。享年102歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。
吉田先生は1934年に東京帝国大学(現東京大学)理学部天文学科を2年飛び級で進級して卒業後、東京帝国大学、東北帝国大学(現東北大学)を経て、1960年から東北大学教授として、天体測定や光学、歯車などをご研究されました。
「日本の光学の父」 とも言える吉田先生は 「明るい単玉非球面レンズ」 も発明され、CDやDVDの読み取りレンズとして世界中で使われています。星爺が「特許を取っていたら大金持ちでしたね!」と不遜なことを申し上げると 「税金で研究させてもらっている国立大学の研究者にとって特許は国民のものなので取得しません」 と言われました。光学設計の基礎や裏話も教えてくださり、『天文アマチュアのための望遠鏡光学』『光学機器大全』(誠文堂新光社)などの書籍を作らせていただきました。
今回は吉田正太郎先生のご遺志でもあるアポクロマートのお話です。

●3色色消しレンズがアポクロマート
若人の皆さんは、屈折率と分散が異なる硝材(しょうざい--レンズの材料)を組み合せると色収差の少ない 「色消しレンズ」 ができることはご存じと思います。
凸レンズと凹レンズ1枚ずつの2枚玉では、紫色~赤色までの白色光に含まれる光のうち2つ(2色)の波長で結像位置を一致させることができ、このようなレンズが「アクロマート色消しレンズ」ですね。双眼鏡や望遠鏡の対物レンズに多用されています。
通常は赤いC線と青いF線のC/F色消しで、入射する光線の球面収差の平均が最小になるように、中心から70%付近で正と負の球面収差を交差させます(下の図を拡大してください)。
下の設計例の図を見ると補正されていない紫色の g 線が ずいぶん後方にずれていて、このためアクロマートは像にボケた青~紫色がまとわりついて見えます。
       赤いC線と青いF線で2色色消しにした一般的なアクロマート対物レンズ。
       紫色のg線が取り残されたように後方に2mmほども離れていてます。
       口径10cm F10の例で黄色のd線が基準です(以下、収差図は同様)

アクロマートをもっと進歩させて、3つ(3色)の波長で色収差が補正され、2つの波長で球面収差とコマ収差が補正される等の条件を満たす高性能なレンズを3色色消しの 「アポクロマート」 と言います。3つの波長で色収差が補正されているだけでもアポクロマートと言うことがあります。
光学理論は奥が深い(吉田先生によると天文学並みの数学が必要らしい)ですが、通常は2色色消しは2枚のレンズ、3色色消しは3枚のレンズでないと補正できません。
 ・2色色消し=アクロマート
 ・3色色消し=アポクロマート
今は知りませんが、昔の工業高校の教科書には色消しレンズの定義は載っていて、常識とされる知識ですから、アクロマートとアポクロマートの違いを覚えておいてください。

●2枚玉でもアポクロマート
2枚玉の対物レンズでもフローライトやいわゆるED硝材を使ったアポクロマート天体望遠鏡というのが多数販売されています。3色色消しアポクロマートではないので、これらのレンズが登場したころ星爺は 「これはマズイなぁ」 と思ったのですが、カタログなどをよく見ると必ず 「フローライト・アポクロマート」「ED・アポクロマート」 と記されています。これは“○○硝材を使ったアポクロマート並みの高性能レンズ”という意味であり、商品名に含まれる冠称のようなものと解釈しました。
吉田正太郎先生にご相談すると、異常分散硝材を使用した2枚玉の対物レンズは、2色色消しではあるが通常の硝材を使った3枚玉のアポクロマートよりも色消し性能は高いほどなので、アポクロマートの表現は許しましょうということになりました。それからの記事では必ず「いわゆるEDアポクロマート」などと、いわゆる付きで記載することにしました。

2色色消しのアクロマートは一般的に凸レンズにBK7硝材を凹レンズにF2硝材を使います。他の硝材でもっと色消し性能の良いのはできないのか? と誰しも思いますが、ほんの少し良くなる例はあってもそんなに好都合な硝材はありません…というところに登場したのが異常分散硝材なのです。2枚玉でも一 足飛びに総合的な色収差補正が通常の硝材の3枚玉アポクロマートに匹敵またはそれ以上になるのですから、こんなに好都合でウマイ話はありません!
     左が古いタイプのED硝材を使ったEDアポクロマートで紫色のg線が過修正の球面
     収差を伴って後方にズレています。右は3枚玉のフローライトアポクロマートです。
     左のEDでもアクロマートに比べると色収差は1/5、右の3枚玉は1/10くらいです。

●断然すごい異常分散硝材の2枚玉

凸 レンズに使われるフローライトやEDは 「部分分散性をもった異常分散硝材」で、設計者は異常分散と言うことが多いです。カタログに 「特殊低分散ガラス」 などと書かれることがあるのは“異常”のイメージを嫌ったからでしょうか? 異常なほど個性的な硝材で相反する個性的な硝材の凹レンズと組み合せると、2色色消しでも総合の色収差はアポクロマート並で、問題のg線は中央は結像位置に近く過修正の球面収差を伴うため少しだけずれる高性能な対物レンズになります(上左の図)。
眼視ではこのg線が他の色と混ざって、青緑がかった独特の色収差が少し見えます。ほんの少しなのでかえって濃く見えます。このことが本来は2色色消しの悲しさと言えるかもしれません。
Fの明るめの望遠鏡を望遠レンズの代用として直焦点で星野写真を撮影すると、青い色の明るい星が少しにじんだ雰囲気の良い(と思っているのは星爺だけ?)写真が撮れます。

フローライトはガラスではなく螢石(ほたるいし、ケイセキ、CaF2)の結晶です。理科で習うモース硬度は4で方解石よりもやや硬い程度のとても柔 らかい硝材です。そこで代替品として登場したのが、いわゆるEDガラスです。いわゆると書いたのは、EDは製品になった時の商品名であり、UD、 LD、SDなどと記されることもあるからです。さらに、いわゆるEDにはおおまかに2種類があります。
フローライトと同等の性能のED硝材は、日本のオハラでは FPL53、HOYAでは FCD100と言いドイツのSCHOTTには同等品は無いようです。これらはスーパーEDとかSDなどと称されることもあります。
過去にたくさん使われたのが性能がやや劣るタイプのED硝材で、オハラでは FPL51、HOYAでは FCD1、SCHOTTでは PK52Aと言います。たとえば同じ口径のFPL51系でFPL53やフローライトのF8と同等の色消し性能を得るにはF10程度に暗くしないとなりません(ざっくりとした比較ですが)。

いわゆるEDアポクロマートの黎明期に、ニコンの10cm EDアポクロマートはセオリー通りに暗くして余裕を持ったF12でした。ペンタックスが 口径75mm~125mmまで全部 F6.4にしたのは(P.S.読者の方からご指摘をいただきました。75mmと105mmはF6.7でした。書きなぐってアップしてから校正して何度も手直しするので完成原稿は数日後になってしまいます。すみません)、望遠レンズとしても使用するため F5.6とF8の中間のF6.4にしたくて、承知のうえで高倍率の眼視性能を犠牲にしたのではないでしょうか。しかし、天下のペンタックスがやったからOKと思ったか? その後の他メーカーのいわゆるEDアポクロマートが、Fの明るいものばかりになるという悪影響を与えたかもしれません。
2枚玉EDを検討する際には、FPL51か? FPL53 か? とF値に注目する必要があります。

●3枚玉アポクロマート
いわゆる2枚玉アポクロマートは、上記のようにg線の色収差が少しだけ残っていますが、価格の安いことや軽量なこと、製品にバラツキが少ないことや温度順応が早いことなどから見直される傾向にあるようです。タカハシさんや五藤テレスコープさんからもFの暗めの新製品が出ましたね。
星爺はビクセンさんが20年以上前に販売していたフローライトの9cmと10cmで F9と暗めの天体望遠鏡を2本、今でも愛用しています。 凹レンズに理想的なKzF5硝材を使用した名機です。
9月4日にタカハシさんから口径10cm F9のFC-100DLが発売されました。凹レンズの硝材は未発表ですが、わかりやすい収差図が発表されています。眼視に特化させるなら球面収差が総合的に交差する場所をもっと中央に寄せて、g線をもっと離して淡く見えにくくしてしまう味付けもアリです。が、FC-100DLはその逆でレンズを少し厚くして(推測ですよ。色収差はわずかに広がります)g線をできるだけ寄せているので青紫のニジミがかなり少なく、星野や月面写真などが相当シャープに写りそうなことが読み解けます。FC-100DLは純然たる眼視用望遠鏡ですが、F9と暗めな恩恵もあって各色の球面収差が非常に少なく高性能なので、写真撮影用にも味付けする余裕があったのでしょう。

正真正銘の3枚玉のアポクロマートにも異常分散硝材が投入されるようになりました。3枚玉になると他の硝材の選択など設計の自由度が大きくなるのでFPL51とFPL53の差はあまりなくなります。硝材の選択肢が多いので設計を推測することはまず不可能になります。
3枚のレンズをオイルで貼り合せたタイプは貼り合せ面が無反射になるのでクリアーな視界で温度順応も早いです。しかし設計の自由度が少ないためか近年は姿を消して分離式(エアースペース)がほとんどになりました。設計上の性能はどの望遠鏡も素晴らしいはずですが、とくにFの明るいものは研磨や組立調整に敏感なので信用あるメーカーの製品を選びたいものです。

3枚玉の間隔を離すとさらに設計の自由度が増して、もっと高性能な天体望遠鏡を作ることができます。アストロフィジックスの製品やタカハシさんのTOA、ビクセンさんのAX103Sがそれです。収差補正に敏感になるので組立調整はものすごい精度が必要になると思います。
      タカハシさんのフラッグシップ機TOA150。口径150mm F7.3 焦点距離1100mm。
      3枚のレンズ間隔を離していて同社では「TOA型アポクロマート」と称しています。

●眼視/写真兼用のペッツバール
眼視/写真兼用(フォトビジュアル)のペッツバールタイプの望遠鏡も高性能で人気です。原型は日本は江戸時代の190年も前にオーストリアのペッツバールが発明したもので、望遠鏡が像面の平坦性が重要なカメラレンズに進化する第一歩と言えるレンズです。2枚玉が前後に配置された4枚玉です。なんと! 星爺が小学生の頃までダルメヤー3Bなどのペッツバールが使われていました。像面を平坦化したと言ってもまだまだ不足なため、かなりの大判で人物のポートレートを撮ると 「周辺がきれいにボケる」 ため、写場では重宝されたのです。モノクロ専用で人像玉とかバカ玉と言われていました。

天体望遠鏡に採用したのはテレビュー社が最初だと思います。現代の設計なので当然3色色消しアポクロマートでFも明るくできます。視界の中央しか撮影しない天体写真には像の平坦性は充分で、ほとんど望遠鏡に近いので眼視性能も優れた二刀流の高性能望遠鏡になります。
タカハシさんのFSQはペッツバールタイプのフォトビジュアルです。昔のペンタックスさんのSDP望遠鏡も(色収差がけっこう残っていた2枚玉+フラットナーのEDHFやSDHFから一挙に進化した)ペッツバールです。たいてい原型とは大きく異なる設計なので、独自の設計とするメーカーさんもあれば、先達に敬意を表してペッツバールと称するメーカーさんもあります(後者のほうが好感が持てますねぇ)。
      ペッツバールタイプの原型。望遠鏡レンズが写真レンズ寄りに進化したもの
      高橋製作所のFSQ106型 口径106mm F5(FL530mm)のペッツバールタイプは
      FPL53系の硝材を2枚採用した贅沢な設計で、天体写真ファン垂涎の望遠鏡

P.S.専門家の方から情報をいただきました。ビクセンさんの 「ネオアクロマート」 という望遠鏡は、異常分散硝材でないペッツバールですね。設計を推測して検証したら高性能なフォトビジュアル望遠鏡ですね! 口径140mmで焦点距離が長いのに一世代前の高級な300mm F2.8望遠レンズ程度のかなりのシャープさです(青ニジミは出ますが)。低倍率専用ということでアクロマートのFを無理に明るくした廉価品とは全然モノが違う! ネオアクロマートという誠実な名称で損をしたかも? 生産中止になったようなので、異常分散硝材のお手頃価格のペッツバールが登場するのでしょうか?

●便利なレデューサー
アクセサリーとして人気のある「レデューサー」についても簡単に説明しておきます。焦点距離を縮めるレデューサーは結像全体を小さくするので、星像は縮めた分だけシャープになる傾向があります。周辺減光や像の平坦性は縮めた分だけ悪くなりますが最近のレデューサーは平坦性もある程度は保ちます。無理なく縮める限度は0.7倍くらいです。2枚玉との組合せが良いですね。
望遠鏡は口径が大きくなると比例して収差も増えます。鏡筒の断面図を拡大コピーする感じをイメージしてください。たとえば口径50mm F10が口径100mm F10になれば収差は2倍になります(本来は口径が大きいとFを暗くする必要がある)。凹面の像面弯曲は2倍ゆるやかになります。設計にもよりますが、屈折望遠鏡は焦点距離が1000mmを超えれば35mm判フルサイズでも平坦化レンズはほぼ不要です。平坦化レンズは小口径(像面弯曲の強い短焦点)ほど良い物が必要になります。
たんなる平坦化レンズ(フラットナー)ならば、パワーのない(少ない)分厚いメニスク単レンズが収差に影響を与えないので良いです。タカハシさん等には別売のフラットナーがあり、ビクセンさんのAX103Sや昔のペンタックスさんのEDHFなどは最初からこの類のフラットナーが入っています。

黎明期のレデューサーは双眼鏡の対物レンズを使った「ナンチャッテ」がありました。対物レンズの焦点距離が長ければ充分実用になるので、まがい物と言うわけでもありませんが、平坦性が悪いものも散見されました。最近のレデューサーは本物が多いですが、あんまりしっかり設計されたレデューサーは、指定の望遠鏡以外に装着すると周辺像が悪くなることもあります。周辺像が悪くなる原因はコマ収差と思われることが多いようですが、屈折望遠鏡は非点収差のサジッタルとメリディオナルが重なって星像に尾が生えたり三角形になったりすることが多いです。

ナンチャッテ・レデューサーでよければ、双眼鏡の対物レンズやカメラ用のクローズアップレンズでも適当に代用は可能です。Rの強い面を望遠鏡の対物レンズに向けてください。光学設計をして平坦性や非点収差を確認すれば、かなり良いものを自作できます。
本気で設計するなら前群と後群に分けて間隔を広げます。そんなのを作ったら望遠鏡より高価だろう…と思ったら、あったのですね! BORGの EDレデューサーF4DG。今は生産中止ですが。

●最後に諸々を箇条書き
・ペッツバール望遠鏡が人気なので、さらに写真レンズ寄りに進化したエルノスタータイプなどの天体望遠鏡も当然のように登場してきました。ただし、とくに眼視性能はまだ様子見の段階と思います。高詳細になったデジカメに対応するシャープな星像を結ぶかどうかも注目ですね。

・アポクロマートでもFが暗い方が高性能なことは変わりません。口径が大きいほどFを暗くする必要があります。色収差以外に、焦点像が大きい(アイピースで強拡大しない)、光線の角度が小さい、組立て誤差などの影響が少ない等、Fが暗いと様々な面で有利で 「Fの暗さは七難隠す!」 。

・メーカーのインフォメイションに 「優れたレンズ設計が云々」 と記されていることがありますが、単純な2枚玉の場合は硝材を決めたらレンズ設計はたんなる幾何学計算なので答えは同じですから、味付け程度の違いしか出すことはできません。設計云々は宣伝文句ととらえるべきでしょう。

・デジカメ用の高性能ズームなどはすごい設計ですが、望遠鏡用対物レンズの設計はけっこう簡単です。2枚(3枚)玉の無限遠だけの設計ですからね。しかし、実際の生産現場と連携した精度の維持やテスト法、さらにコストを鑑みると多くのノウハウがあり、設計だけ優秀でも片手落ちです。

・アクロマートでも高性能品は良く見えると言う人がいますが、上記のように設計は同様なので粗悪品でなければアクロマートの性能は全部同じと考えてください。色収差については、いわゆるアポクロマートとは雲泥の差です。Fの明るいアクロマートはがっかりする見え味のことが多いです。

・アクロマートでも小口径で Fが暗ければ星像はずいぶんシャープに見えて、とくに二重星の観測は満足できます。しかし、月面や惑星はシャープに見えるからと倍率を上げると、強拡大された像が薄暗く見えて不愉快です。シャープさ以前に口径が大きいと像が明るくて見やすいです。

・アクロマートの紫色のg線の色収差は、はなはだしく後方にズレてピンボケで拡散して薄れるので、暗い天体を見る場合には気になりません(怪我の功名?)。昼間に遠くの樹の枝などを見ると青紫色がものすごく不愉快に感じます。星野写真を撮ると青い星が“巨大”に写ります。

・反射望遠鏡は入射した光の角度が倍になって反射しますが、屈折望遠鏡は入射した光は屈折率(BK7硝材なら1.51633)の分しか曲がらないので、研磨の精度は圧倒的に寛容です。なので屈折望遠鏡は 「匠の研磨した○○鏡」 と言われることはありません。そう言う人がいたら勘違いですね。

・クルマで望遠鏡を観測地まで運搬したら、レンズを外気温になじませるため、すぐに外に出しましょう。気温の違いでレンズが微妙に変形するだけでなく、フローライトやEDは温度で屈折率も変わる性質があります。レンズの離れた分離式やレンズ枚数の多い望遠鏡はとくに要注意です。

※いただいたコメントは消えてしまいました。覚えている範囲でまとめて書きたいと思います。